古典の日絵巻

古典の日絵巻[第六巻:能と源氏物語の世界]

古典の日絵巻第六巻 日々のなかの古典

源氏供養

第十号 平成30年1月1日

「源氏供養」(げんじくよう)
原作ストーリー

この曲は今まで紹介してきたように『源氏物語』の中の人物が主人公となるのではなく、作者の紫式部がシテとなって登場します。このように、実在の歌人等が主人公となる曲があります。例えば小野小町が登場する「卒塔婆小町」や紀貫之が和歌を詠じる「蟻通(ありどおし)」、和泉式部の「東北(とうぼく)」等です。
さて、平安末期の仏教の教えには、勝手な思いつきや興にのって無責任な空想の世界をつくりあげ、人々を惑わせる者は、罪として地獄に堕ちなければならないという発想があったようです。このような虚構は仏法の教えに反することでした。罪深い世の人々を迷わせるロマン文学の世界をつくり上げた人物こそ『源氏物語』の作者、このお能によって初めて主人公となる紫式部でした。
さて、舞台の流れをお話ししましょう。
季節は春。安居院(あぐい)法印が、石山寺に参詣に出かけ、一人の女に呼びとめられます。女は、石山寺にこもり『源氏物語』を書き上げたが、自分が作り出した光源氏の供養をしないままに、成仏できずにいるので源氏の供養と自分の菩提を弔うことを頼み消えていきます。
法印は石山寺にこもり光源氏と紫式部の供養をしていると、式部の霊が現れ法印の回向に感謝します。そしてここから『源氏物語』の帖を織り込んだ表白文の謡となります。
空蝉の空しきこの世を厭ひては、夕顔の露の命を観じ、若紫の雲の迎へ、末摘花の台に坐せば、紅葉の賀の秋の落葉もよしやただ…
と、五十四帖すべて出てくる訳ではありませんが、巻名を織り込んだ美しい七五調の謡にあわせて長いクセを舞いとげます。もしかするとこれは『源氏物語』の巻名を覚えるためにつくられたのかもしれません。
「源氏供養」の中に「狂言綺語(きょうげんきぎょ)」という言葉がよく出てきます。狂言綺語とは虚構や文飾の多い物語等を卑しめて使います。しかし『源氏物語』は、人の心をもてあそんだのではなく、究極は仏の道に入るための方法、救済を目的としたもので、これだけの物語を書き上げた紫式部は、ただならぬ人。神の力が宿った石山寺の観音そのものの化身で、世の人を救うためにこの世に現れたと…、と終わりをむかえます。
…紫式部と申すはかの石山の観世音、仮にこの世に現れて、かかる源氏の物語、これも思へば夢の世と、人に知らせん御方便…
さて、『源氏物語』の主人公、光源氏は、多くの女性と華麗な一生を送ったかのように思われがちですが、源氏との関係に悲嘆にくれた女性達以上に不運に満ちた人生だったのではないでしょうか。もし、愛した女達への想いを払拭できずに彷徨っていたならば、ここでようやく浄土へと生まれ変わることができ、安堵したのは光源氏かもしれません。
この「源氏供養」は、20年以上も前に二十五世金剛巌さんが石山寺で演じ、2007年11月1日「源氏物語千年紀」のプレ事業でこの一部を金剛永謹さんが舞いました。若宗家の龍謹さんが舞う姿も近いかもしれません。

※石山寺は、紫式部が石山寺参籠中に起筆したとい伝説で有名です。本堂の一角には、世界に誇る物語が執筆された「源氏の間」があります。

次回は「空蝉」を紹介いたします。

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