古典の日絵巻

古典の日絵巻[第六巻:能と源氏物語の世界]

古典の日絵巻第六巻 日々のなかの古典

夢浮橋

第十二号 平成30年3月1日

「夢浮橋」(ゆめのうきはし)
原作ストーリー

さて、ここでもう一度、第9回に紹介した「浮舟」の話をしておきましょう。入水自殺で命を落としたと思っていた浮舟が生きていると直感した薫は、その消息を尋ねるために横川の僧都のもとに向かいます。僧都は浮舟に逢いたいと思う薫の強い思いを感じ取り、その願いを断るかわりに、浮舟から手紙をもらえるように計らいます。そこで浮舟の弟・小君を使いにやることにして、添文を持たせて小野に向かわせます。浮舟は御簾越しに手紙を持って訪れた小君を見出し、対面することを拒みます。妹尼に説き伏せられ、手紙だけを受け取り、懐かしい筆跡に涙を流しながらもこのような手紙に心当たりはないと追い返します。対面叶わず小君が空しく帰ってきたので、薫は浮舟が誰か別の男に囲われているのではと思い及びます…。

あらすじ

この曲は瀬戸内寂聴さんによって書かれた新作能です。「浮舟」の話に、寂聴さんの想像が加わった『髪』という小説が典拠となっています。『髪』では浮舟を助けた横川の僧都に弟子があったとされています。
最初に現在能、真ん中に夢幻能、最後に現在に戻るというかわった構成です。この現在能に出てくる人物こそが横川の僧都の弟子、阿闍梨です。この曲には通常の能では見られない特徴がたくさん出てきます。
まず、阿闍梨が回想するうちに匂宮と浮舟が乗る舟が登場し、相舞(あいまい)となりますが、匂宮が消え去るとき、浮舟が来ていた十二単衣を持ち帰ってしまいます。十二単をまとわない白い着物に緋の袴姿で舞う浮舟の姿は何を意味するのでしょうか。一説では、打掛を脱ぐというのは、裸を示すことを意味するといわれています。その後、僧都の命により阿闍梨が浮舟の髪を切る場面で、本物のお坊さんによる声明が聞こえてきます。阿闍梨は美しい黒髪に心を乱し、煩悩のままに黒髪を一房、懐に入れてしまうのです。能にしては実に生々しい演出です。黒髪の感触に魅せられ、煩悩に囚われた阿闍梨のカケリとなります。最後に師のお墓に髪を納め、念仏を唱えて悟りを得、終わりをむかえます。
2000年(平成12年)3月3日に国立能楽堂で初演、その後も北海道、山形、京都、大阪と多く演じられています。ご宗家は匂宮を演じました。
『源氏物語』ではたくさんの女性が出家しますが、中でも「浮舟」の出家の部分は具体的に書かれています。どうしてでしょう。寂聴さんの考え方では、この話がつくられたのは、紫式部が出家してからで、紫式部自身が剃髪したときのことを描きたかったのではと言われています。

※新作能…明治期以降につくられたものを「新作能」と呼んでいます。
※相舞…二人の役者が揃って同じ舞を舞うこと。「住吉詣」では光源氏と明石の君が連舞しています。
※カケリ…修羅道に落ちた武士の心の苦しみや妄執を抱いた男の霊の狂乱等を表す働き事。緩急の変化の激しさが特徴です。

これで「能と源氏物語の世界」は最終回となりました。1年間愛読くださり、ありがとうございました。
『源氏物語』は能にとって大事な題材の一つです。多くの方が『源氏物語』をご自身の心の一冊とされていて、頭の中に入れておられることと思います。世阿弥の残した言葉に「よき能と申すは、本説正しく、めずらしき風体にて、詰め所ありて…」とあります。本説とは、典拠が正しい、ということです。
一千年も前から読み継がれてきた『源氏物語』こそ世阿弥のいう「本説正しく」となるものです。皆さんが『源氏物語』のイメージを持っておられるところに原作どおりでないストーリーに、「おやっ」と思われるかもしれません。しかしそこに意外性を感じていただき、主人公の心のうちを感じ取っていただくことができれば嬉しく思います。
人気曲で上演回数の多いもの、なかなか上演されない希曲もありますが、今回ご紹介させていただいた演目を目にされましたら是非、能楽堂に足を運んでいただき、登場する人物の心の声に耳を澄ませてください。『源氏物語』に登場する人物の新たな発見があるかもしれません。

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次号は平成30年4月に掲載します。

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