古典の日絵巻

古典の日絵巻[第六巻:能と源氏物語の世界]

古典の日絵巻第六巻 日々のなかの古典

髪を乱して心の動揺を示す玉鬘

第七号 平成29年10月10日

「玉鬘」(たまかずら)
原作ストーリー

母である夕顔の死後、乳母に伴い筑紫に下っていた玉鬘。美しく成長した玉鬘は、肥後国の豪族から執拗に求婚され、それから逃れるために密かに筑紫から上京します。頼る先もなく途方に暮れるなか、初瀬の観音のお引き合わせで亡き母、夕顔の侍女である右近に出会います。右近から玉鬘の上京の報告を受けた源氏は、玉鬘を六条院に引き取り、源氏による演出により若い貴公子の心を取り乱します。「蛍」の巻に書かれている蛍を放つ演出は特に有名です。そんなことをしながら、玉鬘の美貌に夕顔の面影を見出し、養父の立場を忘れ、恋慕の情が出る源氏…。聡明な玉鬘は、源氏とはまったく正反対の色が真っ黒で髭がもじゃもじゃの髭黒大将と結婚するのです。

宗家の語る見どころ

「玉鬘」は人気曲です。その理由は狂乱物ゆえの面白さです。これは金春禅竹の作品で、禅に深い係りのあった禅竹の曲は、世阿弥の曲に比べて、禅の教えが能に映し出され、難解なものが多いのが特徴といえます。どうしてこれほどまで狂乱しなければならないのか…、玉鬘の美貌の罪、その美しさが生み出す多くの迷いの罪が、成仏の障りとなったのでしょうか…。

前半は、雰囲気のあるもので、静かな中に動的な美しさが見どころです。竹棹をさし、小船に乗って初瀬川をさかのぼる若い女が登場します。女は長谷寺を訪れていた旅の僧を「二本(ふたもと)の杉」に案内し、母の死後からの身の生い立ちを語り、自分こそ玉鬘の霊であることをあかし、姿を消します。

ここでは、玉鬘と右近との偶然の出会いに詠まれた歌のやりとりが謡われます。
[右近] ふたもとの杉のたちどをたづねずはふる川のべに君をみましや
[玉鬘] 初瀬川はやくのことは知らねども今日の逢ふ瀬に身さへながれぬ

[右近] 初瀬名所の二本の杉をたずねて来なかったなら、ふる川の辺で玉鬘に逢うこともなかったろうに、何という縁の深い、観音の導きか。(馬場あき子訳)
[玉鬘] 私の生い立ちの昔のことはよく知りませんが、初瀬川の辺でお引き合わせのようにお逢いした嬉しさに、涙で身も流れるばかりです。(同上)

ここに注目!
棹…棹を持っていると船に乗っている状態。棹をはなすと陸に上がったことをあらわします。
この曲では、「十寸神(ますかみ)」という面をつけることがあります。他に「増髪(ますかみ)」と書く面がありますが、表情は違います。神懸りないし狂乱した女性の面で、眉間にくぼみやしわが入っています。

後半は玉鬘の霊があらわれて、恋の妄執を懺悔の想いで振り返り、髪を乱して心の動揺を示す狂乱の<カケリ>を舞います。このとき「肩脱ぎ」「脱下(ぬぎさ)ぎ」という唐織の右袖を脱いで肩を出す着方をします。金剛流では、髪を乱して一本の鬘を下げて登場します。(両方下げる流儀もあります。)これらは平常心を失った、高貴な女の狂乱した姿をあらわしています。

最初にこの曲の面白さは「狂う」にあるとお伝えしました。「狂う」というのは精神異常のことではありません。「隅田川」に「面白う狂うて見せよ」とあります。無心に舞っているところに神がおりてくることをいうのでしょうか。玉鬘の払えども払えども湧き起こる情念を舞うことによって振り払いたい、そんな狂おしい舞い姿をいうのかもしれません。

※カケリ…拍子を踏むことによって狂乱や苦患(くげん)をあらわしています。

次回は「落葉」を紹介いたします。


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次号は平成29年11月に掲載します。

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