赤土の村

古典の日絵巻[第七巻:きものがたり]

古典の日絵巻第七巻 きものがたり

メキシコ トル・ルイス村

第十一号 平成31年2月1日

赤土の村
服飾評論家 市田 ひろみ

「やっと お逢い出来ました。」
私が車に乗ると 身を 乗り出すように 運転手さんは 笑顔で こう言った。
「僕 メキシコにいたんです。」
「私も オアハカ州にいたのよ。」
「チノチトランデルバイエでしょ。僕もチノチトランデルバイエにいたんです。」
「えー?京都で あの村知ってる人いないでしょ。何をしていたんですか?」
「市田さんと一緒。織物の コーディネイターをしていました。僕は 東海岸(アメリカ) です。
市田さんの 本も持っていますし あちらで お逢いしたこともあります。」
私は 何回も 赤土の道を あるいて イサク バスケスさんの家を訪ねた。
同じ頃 彼も あの村の どこかにいたのだ。
 一九七〇年前後。私は N社の依頼を受けて サラッペ(羊毛、アルパカ、木綿などの織物)を民芸品として 扱っていた。
 四~五十㎝ のものから 四m四方のものまで、彼等は 大きな地板(じばた)に 糸をつけて機用に糸をはしらせた。
 当時は、エスニックな 織物として 人気があり 私は 伝統的な少数民族の 文様を織った。バスケスさんも 期待に 答えてくれた。
 オアハカ州 だけでも 二十八種族もいて それぞれ 固有の 文様を 持っていた。
 スペインの侵略とともに 一方で 影響を受けつつも どこかに 伝統的な 織り方が のこっていて どの家からも 機音が 聞こえていた。
「最近は 行って おられませんねー。」
「ええ もう あのシリーズは 終わったんですよ。」
「そうですか。お仕事を はなれても 行ってやって 下さいよ。みんな よろこびますよ。今でも 時々 市田さんの話が出るのですよ。」
赤土の 日干レンガ(アドウベ)の屋並。
「又、九月に 僕は帰ります。六月に 父を見送りました。短い京都の 滞在でしたが…。」
彼にとって あの 村は 第二の ふるさとなのだろうか。
電気は? ガスは?…
そうだ あの小川の 澄んだ流れは…
イサク・バスケスさんの 息子も 二十才になった。 立派に 織物の技を 引きついでいる。どこか 西陣に似ている。

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次号は平成31年3月に掲載します。

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