11月 『助六由縁江戸桜』(すけろくゆかりのえどざくら)と煎餅

古典の日絵巻[第九巻:古典作品で楽しむ和菓子]

古典の日絵巻第九巻 古典作品で楽しむ和菓子

現代の小麦粉煎餅
(左から時計周りに)みそ半月、貴船菊、白川路 田丸弥製

第八号 令和2年11月1日

11月 『助六由縁江戸桜』(すけろくゆかりのえどざくら)と煎餅
株式会社虎屋 特別理事 虎屋文庫主席研究員 中山圭子

通称『助六』の名で知られるこの作品は、歌舞伎十八番の一つ。初演は正徳3年(1713)で、今も歌舞伎を代表する演目として人気を誇っています。粋な江戸っ子助六が悪人どもに啖呵(たんか)を切る姿、傾城(けいせい)の揚巻(あげまき)の五節句にちなんだ豪華な衣装など、見所が多いことも魅力といえるでしょう。

甘いもの好きがまず目をみはるのは、舞台の左右に積み上げられた、竹村伊勢の蒸籠(せいろう)の書き割り。蒸籠といえば、「蒸す容器」が連想されますが、ここでは菓子を届けるときに使う器のことで、井籠とも書き、外居(ほかい)とも呼ばれていました。竹村伊勢とは実在した新吉原の菓子店で、「最中(もなか)の月」※※と「巻煎餅」が有名。蒸籠の店名から、当時の名物菓子に思いが及びます。意表を突くのが、悪役の意休(いきゅう)の子分として登場する、道化のような朝顔仙平です。隈取(くまどり)は朝顔の花の見立て、仙平は煎餅のもじりで、煎餅尽くしの台詞が小気味いいもの。

以下、『歌舞伎十八番集』から引用すると、


己が名をきいて閻魔(えんま)の小遣帳にくつゝけ。

ことも愚かやこの絲鬢(いとびん)は、さとうせんべいが孫、

薄雪せんべいは己が姉、木の葉せんべいとはゆきあひの兄弟、

塩煎餅が親分に、朝顔せんべいといふ色奴(いろやっこ)だぞ。

 

続々と煎餅の名があがりますが、これらは実際に作られていたものでしょう。たとえば、「薄雪せんべい」は尾張町にあった伊勢屋次郎兵衛、朝顔煎餅は京橋北八丁堀の藤屋清左衛門の商品だったもよう。後者は朝顔を側面から見たような形といいますので、ラッパのごとく、先が広がっていたのかもしれません。煎餅尽くしの台詞は宣伝のためで、贔屓客に煎餅屋(竹村伊勢もその一つ)がいたり、役者が副業で煎餅屋を営んでいたりしたことが背景にあったとされます。

さて、当時の煎餅ですが、図説百科事典『和漢三才図会(わかんさんさいずえ)』(1712序)には、麦の粉を糖蜜でこね、蒸してから生地を広げ、乾燥させたあと、金型に入れ、両面を焙(あぶ)る旨が見えます。小麦粉生地で、型を使うとなれば、今日の瓦煎餅に似たところもありますね。また、『古今名物御前菓子秘伝抄』(1718)には金型に餅生地を入れて焼く製法が記されています。このように煎餅にも種類がありましたが、江戸っ子に似合いそうな、うるち米生地の醤油煎餅は、まだ作られていなかったと考えられます。実は草加煎餅のような醤油煎餅は明治時代以降に広まったものなのです。『助六』を見ながら、江戸時代の煎餅の味わいを想像するのも、一興でしょう。

舞台の大道具の一つ。風景などを描いたもので、背景として使う。いくつかに分割できることからこの名がある。
※※「中秋の名月」や満月を意味する菓銘で、丸い麩焼き煎餅のようなものと解釈される。

参考:『歌舞伎十八番集』 日本古典文学大系98 岩波書店 1965年

本文は、裏千家淡交会会報誌『淡交タイムス』(2015年7月号)に掲載された記事を加筆修正したものです。

 

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