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古典の日絵巻第六巻 能と源氏物語の世界

古典の日絵巻第六巻 日々のなかの古典

「葵上」

第三号 平成29年6月1日

「葵上」(あおいのうえ)
原作ストーリー

六条御息所は、賀茂祭と合せて行われた御禊(ごけい)の行列に、光源氏の姿を一目見ようと人目を忍んで出かけますが、葵上の随者達と牛車を止める場所を巡って争います。御息所の車は追い立てられ、衆目の面前にさらされた屈辱感はやり場のない怒りとなり、魂が体から抜け出て物の怪となってさまよいます。出産を前に物の怪にとり憑かれ苦しむ葵上の病床に寄り添う光源氏は、その正体が御息所の生霊だと知り驚愕します。無事に男の子を出産するものの葵上は急死してしまいます。

宗家の語る見どころ

この演目の作者は明らかではありませんが、近江猿楽の犬王(道阿弥)が演じたものを世阿弥が改作したとされています。道阿弥は、足利義光の法名である「義道」の一字が与えられるほど寵愛を受け、世阿弥が手本にするほどの名人だったのです。
さて、このお能では、光源氏からの愛を奪われた上に、車争いで葵上に敗れ、鬱屈した感情が一気に爆発した六条御息所が、舞台に置かれた出小袖(だしこそで)(赤い装束は病床の葵上を現わしています)に、
瞋恚(しんに)の炎は身を焦す思ひ知らずや思ひ知れ
と、後妻打ち(うわなりうち)で葵上の魂を抜き取ろうと打ちたたき、破れ車(半壊した車は御息所の屈辱と恨みの象徴です)に載せて連れ去ろうとします。
抑えきれない嫉妬心と、「光る君」と大切な人の名前を口に出す御息所の感情が現れる見せ場です。
沢辺の蛍の影よりも 光る君とぞ契らん
ここで大切なのは、御息所の姿は誰の目にも見えていないというところです。御息所の恨みごと哀しみは照日(てるひ)の巫女をとおしてさめざめと語られます。

呪いを残したまま姿を消しますが、後場では、嫉妬という醜い感情が原作にはない心の鬼という形で再び舞台に現れます。金剛流では、鬼となってからは「白般若(しろはんにゃ)」(「泥眼(でいがん)」)の面が用いられます。「般若」の中でも白は鬼といえども気品を感じさせるもので、出自や教養にことさら秀でた御息所の恨みをより強く、より美しく見せるにふさわしい面です。

「葵上」は、能の中でも特に見せ場のあるたいへん有名な作品です。能作者は平安時代の王朝文化に見られるの雅への憧れを、「幽玄」の美として描き出しました。鬼にも幽玄の美が備わっていることをこの曲は知らしめてくれます。御息所が抱く恋慕とそこから燃え上がる嫉妬の念を抑えようとしながら抑えきれない感情の起伏が表現されるところが、この作品の魅力です。

後妻打ち(うわなりうち)…先妻が後妻を恨んで打ちすえること。
※泥眼…白目の部分に金泥を入れた面。女性の生霊を表し、怨霊面として凄みを強調する。高貴な女性が嫉妬に苦しむさまを映したもの。

次  号
次号は平成29年7月に掲載します。
バックナンバー
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古典の日絵巻〔第三巻:新たなステージへ〕はこちら
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