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古典の日絵巻[第三巻:新たなステージへ]バックナンバー

古典の日絵巻[第三巻:新たなステージへ]第1号

第1号(平成24年10月)
ご報告
 古典の日絵巻〔第3巻:新たなステージへ〕をスタートいたします。

  皆さまの大きなご支援、ご協力をいただきまして、去る9月5日、「古典の日に関する法律」が公布・施行され、本年以降の11月1日は晴れて法律に基づく「古典の日」となりました。
  これを受けて、これまで〔第2巻:制定をめざして〕をお送りいたしておりましたが、今月より新たに〔第3巻:新たなステージへ〕をスタートすることとなりました。
  これからも「古典の日」を応援くださる皆さまに喜んでいただける情報を発信してまいりたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

メッセージ
「古典の日」制定推薦人からみなさまへメッセージが届いております。
今月は、広上淳一さん(京都市交響楽団常任指揮者)です。
古典の日に寄せて

モーツァルト、ハイドン、ベートーヴェン。クラシック音楽にとっての「古典」は西洋から来た伝承の楽譜をなぞり継承する作業に感じるかもしれませんが、実は長い年月を経てもまったく色褪せることのない音符を、先人の風格とともに現世に新風として届ける作業です。
「古典」とは決して「古い」ことを意味するものではなく、音楽・言葉・絵画すべて先人が残してくれた道標のことをいい、その作品の中には今も生き生きとした作者である「人間」が呼吸し続けているから、その作品は全く色褪せず、現世でも新鮮なのです。
  今「古典」といわれるものすべて、その時代の表現者たちの生き様そのものなのです。いつの世も人間は同じような感情を抱き、葛藤し、そして新しい境地を見出しながら生きている。私たち今を生きる人間がそんな先人たちの感情を「共感」できる「人間」である限り、「古典」があせることはないのです。

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古典の日絵巻[第三巻:新たなステージへ]第2号

第2号(平成24年11月)
メッセージ
今月は、古典の日推進委員会副会長(山田京都府知事、門川京都市長、久保田宇治市長、立石京都商工会議所会頭)からのメッセージをお届けします。

山田 啓二 京都府知事 

  日本文化の都・京都には、「もののあはれ」に代表される先人により育み、磨き、高められてきた日本人の心が息づいています。
 「11月1日は古典の日」とする法律の制定を機に、京都が率先して、古典に親しみ、学ぶとともに、生活の中にある京都の古典の心をよりどころとしてしっかり受け継いでいきたいと思います。
  特に教育面においても伝統文化や芸術を、これからの若い世代につないでいく取り組みを進めてまいります。

門川 大作 京都市長

  平成24年9月5日、ついに「古典の日に関する法律」が公布・施行されました。長年の取組の成果が実ったことを、非常に感慨深く思います。これまで御尽力いただいた皆様に、心から感謝いたします。
  さあ、これからが真のスタートです!法制定を機に、文化芸術都市・京都、ものがたりづくり都市・京都の誇りをかけて、市民ぐるみで古典の素晴らしさを広く世界に発信し、次世代へと伝える取組に一層力を注いでまいります。

久保田 勇 宇治市長

  連綿と流れる歴史の移り変わりの中で、この国が時代とともに育んできた文化の煌めきは、古典文化を通して、この時代にも受け継がれています。
  このかけがえのない財産を生かし、古きものを尊びながら、輝く未来に向けて新たな礎を築くことが、現代に生きる私たちの責務と考えております。古典の日の制定は、自治体のまちづくりにとりましても意義深く、本市といたしましてもこれまで以上に源氏物語をテーマにしたまちづくりを進め、古典の素晴らしさを内外に発信して参りたいと考えております。
  古典の日制定にご尽力いただきました関係各位に心より感謝申し上げます。

立石 義雄 京都商工会議所会頭

  「『古典の日』に関する法律」が制定され大変喜んでいる。
  法制化に向けて多大なご尽力をいただいた国会議員の方々をはじめ、署名活動に協力いただいた全国11万人の支援者の皆様に対し厚く御礼申し上げたい。
  古典は日本が世界に誇るべき資産であり、今回の法制化を契機に、我々日本人が忘れかけた和の文化の素晴しさを再認識し、様々な取り組みが展開されることによって、新たな文化や産業の創造につながることを期待したい。

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古典の日絵巻[第三巻:新たなステージへ]第3号

第3号(平成24年12月)
メッセージ
「古典の日」制定推薦人からみなさまへメッセージが届いております。
今月は、永田 萌さん(イラストレーター)です。

  京都の各界をあげて制定運動を進めてこられた「古典の日」が、こんなに早く制定されたことに大きな喜びを感じています。
  昨今の日本の現状を見るたび、私たちは先祖から引き継いだ文化をはたして確実に未来に渡すことができるのかと不安になります。そして同時に、改めて過去に学ぶ必要も真摯に感じます。その糸口となる行事が日本中で古典の日に行われる時、京都はどこよりも重要な役割を果たさねばなりません。
  わたしは兵庫県姫路市で中学高校一貫教育を受けました。この年間にたっぷりと古典の授業を受け、分野は何であれ京都にある京都の大学に進学すると決めました。源氏物語を代表とする古典文学の舞台となった京都に住みたいと切望したのです。
  あれから四十年思いもかけず童画家の人生を歩みましたが、京都を離れることなく過ごしてきました。京都市民として、「古典の日」に古典をもっと身近に感じて過ごせることを嬉しく思っています。

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古典の日絵巻[第三巻:新たなステージへ]第4号

第4号(平成25年1月)
メッセージ
「古典の日」推進支援人からみなさまへメッセージが届いております。
今月は、市田 ひろみさん(服飾評論家)です。
語りついでゆくもの

  きものとかかわる仕事をするようになったのは、昭和38年頃からだろうか。
「京都は、きものの町や。きものを自分で着られる人を育てていかんと、早晩この業界はあかんようになる。」――いつか未来の或る日、きもの業界が市場を失うことへの警鐘だった。
 あれから半世紀。私の仕事は、大きく枝葉をひろげて行った。海外でのきものショーも106都市をかぞえる。「源氏物語」や西鶴や近松、琳派などをテーマに、デザインは広がってゆく。気がつけば、私は古典の語り部となっていた。
 日本の伝統文化は、日本人が守り伝えてゆかねばならない。
 古典の日は、日本人がその感性で紡いで来た美しい心を後の世に語りついでゆく日となるだろう。

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古典の日絵巻[第三巻:新たなステージへ]第5号

第5号(平成25年2月)
ご報告
古典の日の法制化に伴い、新たに「古典の日推進支援人」にご就任いただいております。

  多くの皆さんのご支援により、昨年9月5日、「古典の日に関する法律」が公布・施行され、「古典の日」が国の法律として定められました。
  これに伴い、「古典の日」推進全国会議におきまして、古典の日制定推薦人に代わり、新たに「古典の日推進支援人」にご就任いただくこととなりました。(→「古典の日」推進全国会議
  今後も、古典の日普及活動のため、法律にのっとり、さまざまな文化活動を行ってまいりたいと思いますので、引き続き、皆さまのご支援をよろしくお願い申し上げます。

メッセージ
「古典の日」推進支援人からみなさまへメッセージが届いております。
今月は、観世 清和さん(能楽観世流二十六世家元)です。

  流祖観阿弥、世阿弥によって能が大成されてから、七百年近い時が過ぎました。2013年は、観阿弥生誕680年、世阿弥生誕650年という節目の年でもあります。能は、現在に受け継がれる日本の伝統芸能の中でも、ひときわ古い歴史をもっています。
  しかし、単に古いということが古典の意味ではなく、またその意義ではありません。古典は、私たち日本人の心の原点にあるものだと思います。そこには古さも新しさもありません。だからこそ、時代が変わり、生活が大きく変わっても、古典は人々の心を動かすことができます。
  今もし、古典が顧みられることが少なくなっているとすれば、それだけ人が心の奥を見つめる機会が減っているからなのかもしれません。現代は、ただおもしろおかしく時間をやり過ごす遊びに満ちています。そういうものに流されず、一度しっかり立ち止まる、人と人が心を込めて向かい合う、そんな日が「古典の日」であればよいと思っています。

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古典の日絵巻[第三巻:新たなステージへ]第6号

第6号(平成25年3月)
メッセージ
「古典の日」推進支援人からみなさまへメッセージが届いております。
今月は、中江 有里さん(女優・脚本家)です。

  「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖と、またかくのごとし。」
  『方丈記』の冒頭の一節は、河の流れに、人の人生を重ね合わせています。河の流れは同じように見えても、変わり続けている。人も住まいも同じくそうである。言われてみると、本当にその通りです。
  人間だけでなく、この世のものは、すべて流れるまま、誰にも「時」を止めることはできません。人生は予測したところで、予測しきれない無常なものです。長明は八〇〇年の時を越えて自らの経験を通して、現代に生きるわたし達に人生の無常を教えてくれます。
  こうして昔の人が綴ってくれたからこそ、わたしたちは、過去を知ることができます。歴史を知ることができます。歴史は人類の生きてきた道筋です。こうした道筋を振り返りながら、私たちはまだ見ぬ未来へと踏み出すことができるのではないでしょうか。

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古典の日絵巻[第三巻:新たなステージへ]第7号

第7号(平成25年4月)
メッセージ
「古典の日」推進支援人からみなさまへメッセージが届いております。
今月は、新井 満さん(作家、作詩・作曲家)です。
わが友、鴨長明

  古典のイメージといえば、"超有名で、超難解"であろうか。だから敬遠して神棚、ではなかった本棚の奧に飾っておくだけなのだ。もったいない話ではないか。
  古典と、どうつきあうべきか? 私の考えはこうだ。古典に、ひれ伏してはいけない。古典とは、常に対等の友人関係でいよう。そんなことを思って十年ほど前から、古典の自由訳(現代語訳)というものをこころみてきた。私が選んだテキストは、「老子」「般若心経」「十牛図」「良寛」「橘曙覧(たちばなのあけみ)の独楽吟(どくらくぎん)」「方丈記」「万葉集」などきりがない。中には文章にメロディーをつけて、CDにしたものもある。
  結果どうなったかというと、作者と親しくなることができた。例えば、鴨長明である。彼は出家者というよりはむしろ音楽家で、無頼派のロックン・ローラーであったといってもよいと思う。自由にあこがれつつ悩んだその姿とは誰でもない、二十一世紀に生きるあなたのことであり、私のことでもあったのだ。

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古典の日絵巻[第三巻:新たなステージへ]第8号

第8号(平成25年5月)
メッセージ
「古典の日」推進支援人からみなさまへメッセージが届いております。
今月は、森田りえ子さん(日本画家)です。

  京都の街は私にとって生きた博物館です。ウォーキングを楽しみながら、ふと立ち寄ったお寺や神社で偶然出会える絵画や彫刻……ワンダーランド! 関心のある伝統文化のイベントに、ジャンルの垣根を越えて気軽に足を運べる事、これもワンダーランド。
  長い歴史の中で、幾多の災難や危機を乗り越えて今に残る先達のアイデアから、絵を描くうえで多くのインスピレーションを授かっております。
  古典って、現代とかけ離れた存在ではありません。人から人へ長い歳月を経て受け継いできたメッセージが一杯詰まった宝箱、今を生きぬく知慧袋だと思います。
  私もいつか「古典」になれる日を夢みて、日々、手に汗して制作しております。

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古典の日絵巻[第三巻:新たなステージへ]第9号

第9号(平成25年6月)
メッセージ
「古典の日」推進支援人からみなさまへメッセージが届いております。
今月は、田畑 喜八さん(染織作家)です。

  私の少年期は、御室小学校・双が丘中学校・嵯峨野高校と古典とは縁の深い地域で学んだが、徒然草や枕草子には好感をもったが、当時硬派であった私は、男女間のなよなよした源氏物語は好きでなかった。
  長じて伝統工芸の仕事に携ってからは、いろいろなところで古典と呼ばれる歴史―先人の遺徳に直面し、その恩恵に浴する事になった。源氏物語をテーマにした作品も制作するようになり、その奥深さに感動している。
  古典は今や私達伝統工芸士の栄養素であり、創造のエネルギー源である。私にとっては、毎日が「古典の日」といっても過言ではない。

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古典の日絵巻[第三巻:新たなステージへ]第10号

第10号(平成25年7月)
メッセージ
「古典の日」推進支援人からみなさまへメッセージが届いております。
今月は、田中 旭泉さん(筑前琵琶奏者)です。

  奈良朝直前に日本に入ってきた琵琶は、1300年の時を超え、雅楽の琵琶、平家琵琶、盲僧琵琶、薩摩琵琶、筑前琵琶と様々に形を変え、今日まで受け継がれてきました。
  琵琶歌の中で、ままならぬ世を生き抜いてきた、いにしえの人々に思いを馳せ、今、私はどう生きてゆくべきか、対話をしています。源平の合戦のもののふ達。戦国時代の武将達。明治維新の中で、日本を思い活躍した人々。人々の生き様、死に様を通して、人間の本質、心の動きは、今も昔も何も変わらないことを、琵琶歌は教えてくれました。
  「古典」がより身近に、自然に人々の暮らしの中にある。その第一歩が、「古典の日」制定。「古典」を「古典」と意識せず、自然に私の傍にあることが幸せに思われます。その幸せを次の世代に伝えたい。大きな時の流れの中で、先人達が積み重ね、受け継がれてきた「古典」があるからこそ、未来への次なる一歩が、安心して踏み出せるように感じています。

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古典の日絵巻[第三巻:新たなステージへ]第11号

第11号(平成25年8月)
メッセージ
「古典の日」推進支援人からみなさまへメッセージが届いております。
 今月は、小川 後樂さん(小川流煎茶家元)です。

  人気のテレビドラマ「八重の桜」を見て、と言うことになるのですが、歴史に於ける正義とは何か等と、少し難しいことが頭を巡っています。幕末維新の時代史を、ドラマ以外であまり触れたことのない人達には、今迄の正義の主役が敵に回るその展開に、いささか戸惑いを感じておられるようです。
  歴史に於ける正義については、二度の不幸な大戦の中で、世界の多くの学者が、善悪を判別する絶対的な指標は何なのか、歴史の出来事を裁断する絶対的な、普遍的な価値の基準は何なのかと、真摯に苦悩し、模索を続けていました。そうした中、「生命」を一つの回答として提唱する学者の居たことを学んだ覚えがあります。
  一つの行為、一つの出来事が「生命」に照らして善なのか悪なのか、それが絶対的な指標として提唱されましたが、悲しいことに、余りにも単純明快というのでしょうか、万人の認める理論・共有の哲学にならなかったことは、この一世紀を振り返っても明らかです。
  「古典」は、この「生命」の躍動を捉え、その琴線に触れるものだけに、「古典」を学ぶ中から、時代を超え、国境を越えた、「生命」を基盤とする普遍的な価値を学び取り、少しでもこの荒廃した社会に尽くしたいものです。

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古典の日絵巻[第三巻:新たなステージへ]第12号

第12号(平成25年9月)
メッセージ
「古典の日」推進支援人からみなさまへメッセージが届いております。
今月は、榎木 孝明さん(俳優)です。

  古き良き時代の日本映画は、古典の仲間に入れてもらっても良いかもしれません。時代は日々進んでコンピューター、インターネットなど、便利さは増すばかりですが、日本人の古来の精神性は世界に誇るべきものであった事を忘れてはならないと思います。
  私は昨年から「時代劇再生運動」を通じて、世界に自信を持って出せる日本映画の再生を各界の人々に呼びかけています。映画を通じて日本文化の素晴らしさを世界にアピールし、国のイメージアップを図ることを政府は何故発想しないのか不思議でなりません。IT産業も大事かもしれませんが、私達の身近なところの古典に眠る日本人の誇りを取り戻すことが、現代を活性化し且つ世界の平和に貢献出来る道だと信じます。

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古典の日絵巻[第三巻:新たなステージへ]第13号

第13号(平成25年10月)
メッセージ
「古典の日」推進支援人からみなさまへメッセージが届いております。
今月は、蜂谷 宗玄さん(香道志野流松隠軒家元)です。

  香道の一般的な楽しみ方に、数種類の香木の香りの相違を聞き当てる組香がある。
  組香は単に香りを聞き当てるだけではなく、主題をも楽しむ。中でも『源氏物語』を主題にした組香は数多く、特に五本の縦線と頭を結ぶ横線で表される「源氏香」の図、というデザインを目にされた方も多いと思う。
  「宇治山香」は『百人一首』で知られる喜撰法師の「わが庵は都の巽しかぞ住む世をうぢ山と人はいふなり」の歌が主題。『源氏物語』空蝉の巻を主題にした「空蝉香」が徳川家康の孫で後水尾天皇の中宮となった東福門院の考案された組香であるなど歴史的な逸話にも事欠かない。他にも『和漢朗詠集』、『古今和歌集』、『百人一首』、名所旧跡、故事来歴等々枚挙にいとまがない。
  つまり香道は古典と共に今日まで連綿と続いており、古典の世界を抜きには存在し得ないといっても過言ではない。これは香道に限る事ではない。古典こそ日本の文化、日本人の感性の原点、精神の血であり肉であり、骨格そのものであると思う。

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古典の日絵巻[第三巻:新たなステージへ]第14号

第14号(平成25年11月)
メッセージ
「古典の日」推進支援人からみなさまへメッセージが届いております。
今月は、浅田 次郎さん(作家、日本ペンクラブ会長)です。
古典とは何だろう

  私たちは学校教育において、多かれ少なかれ必ず古典文学を学びます。
  そしていつの世にも、学生は懐疑します。今日の社会とは無縁の古い物語や詩歌を、どうして学ぶ必要があるのだろう、と。もちろん私も、そうした素朴な疑問を抱いたひとりでした。
  しかし古典文学とは無縁なはずの人生を歩むうち、折にふれて気付くのです。四季のうつろい、月や花の美しさ灼(あらた)かさ、人の情け、喜びや哀しみ、そうした心に映るくさぐさを賞玩し理解する力のみなもとが、古典の一節であることに。
  文学の正しい評価は、いっときの人気や流行では定まりません。転変をくり返す歴史に淘汰され、いつの世にも普遍の感動をもたらす作品だけが後世に伝えられます。
  だから古典文学は、誰のものでもないひとりひとりの人生を豊かにしてくれるのです。

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古典の日絵巻[第三巻:新たなステージへ]第15号

第15号(平成25年12月)
メッセージ
「古典の日」推進支援人からみなさまへメッセージが届いております。
今月は、浅野 温子さん(女優)です。

  『古事記』に現代的な解釈を加えた脚本をよみ語りする、一人舞台の活動を初めて10年が経ちます(2010年からタイトルを『浅野温子 よみ語り』として新スタート)。なぜ『古事記』だったかと、よく聞かれますが、日本最古の歴史書である『古事記』は、同時に日本最古の文学でもあり、そこに日本人の心の機微や考え方のルーツが記されていると思ったからです。実際に読んでみて、いわば古典中の古典である『古事記』の中に、これほど現代人に通じるテーマが散りばめられ、その答えの糸口となるメッセージまでが詰まっていることに驚きました。
  今後は、『古事記』とともに、『伊勢物語』や『蜻蛉日記』『今昔物語』など、日本人の貴重な財産である古典を、今を生きる私なりのよみ解き方で残していきたいと思います。そして、世界の方々にも知っていただくきっかけとなれば幸いです。掘り起こしたい古典は数限りなくありますので、ゾンビになって、自分が"古典"になるまで語り続けていく覚悟です!

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古典の日絵巻[第三巻:新たなステージへ]第16号

第16号(平成26年1月)
メッセージ
「古典の日」推進支援人からみなさまへメッセージが届いております。
今月は、森 小夜子さん(人形作家)です。

  小倉山の麓にすまう幸せに恵まれ、民族衣装をまとった人形を創り始めて40年になります。小倉百人一首の藤原定家、歌僧西行、平家物語の祇王妓女といった目くるめく古人の息づかいが、今にも聞こえきそうなところです。
  嵐山を望み、お隣は常寂光寺。嵯峨野は日常の散歩道。ここで四季折々の自然に囲まれて暮らしていますと、古典とは縁がなかった私が、いつしか古人の気配につき動かされたようです。想いを色や形などに置き換えたくなっていました。紫式部、ガラシャ夫人、夕霧太夫などの作はこうした想いから生まれました。
  不遜なこととおののきながら、いつしかも古人と共感できたような気持ちにされ、遥かかなたのあるいは未来の子どもたちに想いを馳せ始めています。この美しくて豊かな自然をなんとしても引き継ぎたい、との想いです。
  だからでしょうか、遥か彼方の時空を見つめ、自然を愛で慈しむかのような人形となって独り立ちし、いつも私と対峙し始めます。

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古典の日絵巻[第三巻:新たなステージへ]第17号

第17号(平成26年2月)
メッセージ
「古典の日」推進支援人からみなさまへメッセージが届いております。
今月は、髙島 肇久さん(日本国際放送特別専門委員、元NHK解説委員長)です。

  「古典」と聞いて思い浮かぶのが「グレートブックス」です。古今東西、あまたある書物の中で西洋文明の基礎となった本を束ねた叢書の総称で、主にアメリカの大学で一般教養の教材に使われてきました。中身は選者によって異なりますが、この分野の第一人者とされるシカゴ大学のアドラー教授は、ホメロスからソルジェニーツィンに至る161人の著作を選定しています。学生は教授が指定する本の特定の章や節について議論し合い、西洋思想の根源を探って行きます。ビジネス・リーダーの研修機関であるアメリカのアスペン研究所も「グレートブックス」を中心素材とし、参加者は現代ビジネスに通じる普遍の理念を古典から学び取っています。最近は日本版の「グレートブックス」も出来て、例えば源氏物語で「もののあはれ」を考えるといった動きも出始めています。私は以前、出張先のニューヨークで、48歳の映画評論家が30年ぶりに母校のコロンビア大学に再入学して「グレートブックス」の講座を受け直す体験を綴った本を購入しましたが、ギリシャ・ローマの古典が社会経験を経た著者にいかに新鮮に映ったかなど、何処を開いても興味深い記述に溢れていて羨ましく思ったものです。「グレートブックス」は、古典を生活の中に取り入れて人生の友とする上で極めて有効なアプローチだと改めて感じています。

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古典の日絵巻[第三巻:新たなステージへ]第18号

第18号(平成26年3月)
メッセージ
「古典の日」推進支援人からみなさまへメッセージが届いております。
今月は、久谷 政樹さん(グラフィックデザイナー、京都造形芸術大学名誉教授)です。

  私がグラフィックデザイン理論を学んだ1960年代、西欧を中心とするバウハウスの思想が最高のものだと信じ込んでいました。装飾性を排除した合理的、機能的な近代デザインを社会は求めていると教育されたからです。そしてシンプルで無駄のない機能的な表現に傾倒しその理論になんの疑いももちませんでした。
  しかし1970年大阪万博の貴賓室壁画の制作を依頼された時、自分のアイデンティティとは何かという大きな問いに阻まれました。それは日本人として、デザイナーとして世界に自信をもって発信できる作品をどう表現するかという問いでもありました。縦1.2メートル×横25メートル。まさに絵巻物のような横長の壁面に表現したものは「鳥獣戯画」をモチーフとし、銅板に一刀彫で仕上げたものでした。
  私を救ってくれたのは「古典」でした。以来、中世から伝わる職人さんとのコラボレーションによる新たなモダニズムの展開を試みています。古典の日のポスターは私が渾身を込めた一作です。

古典の日のポスター ※画像をクリックすると拡大できます。

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古典の日絵巻[第三巻:新たなステージへ]第19号

第19号(平成26年4月)
メッセージ
「古典の日」推進支援人からみなさまへメッセージが届いております。
今月は、佐久間 良子さん(女優)です。

  「古典」と呼べるものを一つ挙げるとすれば、書でしょうか。子供のころから外で遊ぶよりも字を書くことが好きで、今や私のライフワークの一つとなっています。
  私は、句や詩を題材に、だれもが読める作品を書くようにしています。いい言葉に出会うと、書き留め、それを書きたいときに書くのが私のスタイルです。
  中でも、相田みつをさんの「こんな顔で」という詩には特別の思い入れがあり、今回の個展(4月9日より大丸京都店にて開催)では、全紙サイズに揮毫したものを出展します。

  この顔は
  かなしみに堪えた顔である
  くるしみに堪えた顔である
  人の世の様々な批判に
  じっと堪えた顔である
    (中略)
  息子よ
  こんな顔で生きて欲しい
  娘よ
  こんな顔の若者と
  めぐり逢ってほしい

  この詩との出会いは、息子(俳優の平 岳大氏)が小学生のとき。国語の教科書に載っていたのを読んで感動した私が、書き取りをしていた息子に「とても大切な言葉だから覚えておきなさい」と言ったんです。その後、息子が大人になったある日、私が思い出すように「そういえば、あれはいい詩だったわね」と言うと、「うん。僕、持ってるよ」と財布の中からボロボロの紙片を取り出しました。あのときの書き取りの紙でした。高校・大学時代をアメリカで過ごした息子にとっては、この詩が心のよりどころだったのかもしれません。この言葉がすばらしいのはもちろんですが、息子がずっと持っていてくれたことにいたく感動し、以来、私にとってもかけがえのない、大切な宝物となりました。
  余談ですが、息子が留学中の7年間、日本のことも学んでほしいとの思いから、日本文学全集や歴史書を送り続けておりました。今、時代劇にもたくさん出演させていただいていますが、それらは演技の糧になっているのではないかと思います。
 そして、今回の個展の中でもう一つ気に入っているものが「円相」です。これは、禅の言葉です。私なりの想いから、墨液に少し柿渋を混ぜてみたんです。すると、何とも言えない不思議な色を発し、線も自然に浮き上がってくるようで、楽しい作品に仕上がりました。
  書は、滲みとかすれと乾きによって全く違うものが生まれます。また、自分の心を正直に映し出す鏡でもあります。二つとして同じものは書けない、まさに一期一会の世界。そんな緊張感の中で筆を走らせる瞬間がとても好きで、その感覚は芝居にも通じているように思います。この先も、私の女優人生にとって、書は欠かせない存在としてあり続けることでしょう。

「佐久間良子展」のご案内

2014年4月9日(水)→15日(火)
大丸京都店 6階美術画廊
(午前10時~午後8時/最終日は午後5時閉場)

  このたび大丸京都店にて、女優として映画や舞台で活躍されている佐久間良子さんの『書』の展覧会が開催されます。
  幼少の頃から字を書くことが好きで、独学で書道を学び、1975年には日展に初入選。2008年にはニューヨークで書道展を開催されるなど、長年にわたり意欲的に制作されています。今展では『書道』という芸術分野に挑戦する佐久間さんの作品30余点が一堂に展観されます。

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