琳派400年記念国際シンポジウム「琳派この一作 〜私の見方・楽しみ方〜 」を開催いたしました。

この秋、京都国立博物館に、第一世代にあたる光悦・宗達。第二世代の尾形光琳や弟・乾山。そして第三世代の酒井抱一らへと受け継がれてきた琳派の名作が勢ぞろいしました。見どころのひとつとなったのは、宗達・光琳・抱一の三者が描く「風神雷神図」が揃い踏み。さらに光悦と宗達の競作として名高い「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」は、全巻が公開された。国内外の“琳派大好き!”な有識者が会し、「琳派 京を彩る」に展示された作品の中からお気に入りの作品を選び、その魅力を熱く語り合っていただきました。新発見、再発見!がいっぱいのシンポジウムとなりました。

【プログラム】
〇主催者挨拶  佐々木丞平(京都国立博物館館長)
〇パネルトーク
井浦 新(俳優・京都国立博物館文化大使・日本美術応援団団員3号)
クリストフ・マルケ(日仏会館・フランス日本研究センター所長)
ジョン・カーペンター(メトロポリタン美術館日本美術キュレーター)
辻 惟雄(MIHO MUSEUM館長)
山下裕二(明治学院大学教授、日本美術応援団団長)

美を語る兵の先生方にそれぞれ琳派の作品の中から「この一作」をお選びいただきました。
さて、その一作とは?

□辻惟雄先生が選ぶこの一作…俵屋宗達筆「白象図」、「唐獅子図」(養源院蔵)
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養源院で学生時代に出会った記憶に刻まれた作品です。「白象」の背中から尻にかけてのきれいな半円形、しわなどは最小限に単純に描かれ、デザイン化しながら象の大きさや量感が単純な形の中に込められています。「唐獅子」は杉戸の縁の枠の中で、精一杯あばれ、次の瞬間枠の外に飛び出さんばかりの躍動感があります。このように宗達の絵には、人の意表をつくデザイン、見る者を惑わせ、面白がらせる不思議な力を持っています。琳派の中でも他に類がない活き活きとした動物の生命力、動物表現で描かれた2点の作品が辻先生の大のお気に入りです。

□ジョン・カーペンターさんが選ぶこの一作…尾形光琳筆「八橋図屏風」(メトロポリタン美術館蔵)
※「八橋図屏風」(メトロポリタン美術館蔵)は「琳派 京を彩る」に出品されていません。
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何より、その構図の素晴らしさに魅かれた!根津美術館の国宝『燕子花図屏風』とこの『八橋図屏風』は、金地に燕子花の房をリズミカルに配置し、抽象的(アブストラクト)に描いています。それまでの宗達派の花鳥図とはまったく異なった作品です。さらにこの絵は『伊勢物語』第九段「東下り」を読み取る仕掛けとなっています。三河国に出てくる八橋をイメージした橋が描かれ、光琳の時代の人々は、この八橋を見ると、在原業平がある男に言われ、「か・き・つ・ば・た」の5文字を「五七五七七」それぞれの頭文字にした和歌か、同じテーマの「杜若(★かきつばた)」という謡曲を思い浮かべ、その情景を思いめぐらせたことでしょう。これは人物を描かずに、その他の草花や物を通じてその情景を思い起こさせる留守模様という手法です。なんと奥深いことでしょう。絵と向き合い文学主題が読み取れたとき宗達と気持ちがつながったような気がします。

□井浦新さんが選ぶこの一作…鈴木其一筆「夏秋渓流図屏風」(根津美術館蔵)
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理路整然としてきれいな絵という印象で、何か違和感が残る。きれいに描かれた渓流の絵の前に立っていると気分が悪くなってくる。一生懸命に細部まで描いているが、あまりにも平面的、自然も人工的で、一見、自然の景観を人工的にこしらえたような庭師がこしらえた庭のような感覚にとらわれるのである。
これだけ奥行ある配置にもかかわらず、なぜこれほどフラットなのか、その違和感がいつの間にか好きなところに変わっていってしまう。今回、実物に再会し、まず目に飛び込んできたのは、檜の葉の妙な立体感に加え、さりげなく絵にとまっているセミ。其一の進化し過ぎている点と、宗達の本流ともいえる宗達流が薄れてきているにかかわらず、琳派の系譜の絵師達を並べていくと宗達と其一に妙なつながりを感じて仕方がない。
さらに、其一の師匠である酒井抱一への傾注が、抱一が旅立ってから解き放たれたかのように、絵画表現が解放されていく。それまでは自分を殺して、抱一そのものや第二の抱一になっている、そういう人柄も其一に興味を惹かれるところである。師匠への仁義の世界で、師匠を支えながら、師匠が旅立ってから自己表現へと解放していく。そういう其一の心持がなんとも言えない魅力と思うのである。

□クリストフ・マルケさんが選ぶこの一作…中村芳中『光琳画譜』仔犬(芸艸堂刊より)
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 1802年に江戸で出版された『光琳画譜』は、版木を使って摺られた版本である。あらゆるテーマが描かれているが、その中の1枚に白い犬を枕にして居眠る黒犬、そして真正面を向く茶色の3匹の仔犬が描かれている。極端に省略しながら、犬の愛らしさやその表情を輪郭線だけで的確に描く才能が素晴らしい。『光琳画譜』と言いながら実は光琳の絵ではない。光琳が亡くなって85年経ってから、京都出身の絵師、中村芳中が光琳風に描いたものを編集して江戸で出版した。この絵を選んだ理由は、まず光琳の作品の縮図集『光琳百図』と同様に出版物であるという点だ。つまり1点物の絵画とは違って、複製技術によって広く流布した版本であることが、琳派が19世紀の初めに一つの流派として認識された一因ではないかと考えられる。そして『光琳画譜』が明治時代から欧米でも知られるようになり、ジャポニスム(日本趣味)の中で、琳派の国際認識、国際評価に大きく影響を与えたのである。小さくて、目立たない、しかし心に残る絵である。

□山下裕二先生さんが選ぶこの一作…伝俵屋宗達筆『蔦の細道図屏風』(相国寺蔵)
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宗達の数ある作品の中でもこれほど大胆なものはない。金箔の上に緑一色だけ。上部には烏丸光廣による『伊勢物語』の東下りにちなむ和歌が書かれ、その書体の変化、リズム感をしっかり感じ取れる。しかも左右並べての連続画面が、入れ替えてもつながることを強く意識している作品である。
そしてこの絵がさらに興味深いのは「光廣」の落款で、まるで『伊勢物語』の主人公、在原業平がてくてく歩いているように見える。そんな趣向も実に洒落ていると思う作品。こんなにかっこいい絵は、やはり宗達にしか描けない。
「蔦の細道図屏風」は現代のグラフィックデザイナー達にとって衝撃を与える重要な作品です。

さて、この展覧会の白眉といえば宗達・光琳・抱一の「風神雷神図屏風」が揃い踏みし
て展示されたことが見どころのひとつでした。
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この3人の作品を見比べて山下先生はそれぞれの資質を刃物に例えてくださいました。まず宗達は鉈でぶった切るような野蛮なトリミングをする人。次に光琳は非常によく切れる京都の料理人が使う最高の柳場包丁のような刃物でトリミング。抱一はもっと線が細くなってきてよく切れる剃刀。其一はというと手術用のメス。琳派の画家を何かに例えて比較していくことでその人に気質が際立っていきます。
さて、楽しく興味深い話はつきないものです。まだまだ聴き続けたい気持ちをおさえて、興奮冷めやらぬうちに、もう一度作品をじっくりと観るために会場に向かわれる方。まだ観ておられない方は、お話を思い出しながら、また違った見え方ができたかもしれません。そして皆さんはどの一作をご自分のお気に入りに選ばれましたでしょうか。琳派の源流から現代にまで生き続ける琳派の美意識に触れる機会となっていただけましたことを願いながら閉会とさせていただきました。

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